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問題だけど、問題ないブログ

いつもご機嫌、意地でもご機嫌。機嫌さえよければ当面問題ないんです。知らんけど。

本物偽物は趣味の問題!

所感
先日「エクス・マキナ」という映画を見てきました。
その時の予告編が釈然としなかったので文句つけます!
 
近々公開予定の「裸足の季節」。
トルコの少女たちが古い因習に抗う姿を描いたフランスの作品です。
映画サイトでも大きく取り上げられているので、興味を持って見ていました。
 
内容はもちろん、真面目なんでしょう。
映像、光に溢れていてめっちゃきれい。
たぶん名作。世界一美しいダニエルの奥さんが誇りにしてたし。
 
なんだか嫌な気がしたのがラスト部分です。
日本の、誰か知らんけど、調べる気ないけど、大女優オーラ出してる人をバックにコメントが表示されました。
正確な文章は忘れたけど
「この映画には少女たちの真実の姿があります。スマホから目をあげて見てください」
という趣旨のメッセージでした。
 
んー、なんだかなあ。
シリアスな映画とは言えフィクションですよ。
創作物には真実を描くためにフィクションを利用するという側面があるのは理解してます。
この映画がただの作り話でなく、トルコの実際の習慣を問題視したものだということも。
 
なんでわざわざディスりを入れるんだろって話です。
映画=真実、スマホ=偽物って図式っておかしくありません?
 
映画はコンテンツ。
映画館でも、DVDでも、オンデマンドでも観れます。
もちろんスマホでも。
 
スマホはツールです。
コンテンツを利用するためのもの。
 
まず比較の対象が違ってますやん。
せめて4DXの映画と比較するとかさ!
 
新しいものって叩きやすいんだと思います。
古くはテレビがそうでしたよね。
「テレビを見ると頭が悪くなる」って普通に言われてました。
今その世代がテレビ漬けの姿を見てると、スマホ中毒の若者を笑えません。
 
ツール自体に中毒性があるのは自分でも感じるので、弁解し難いところもあります。
とはいえ新しい物が出来たから、古い物がところてん方式で価値を上げるわけではないですよね。
伝統は単なる経過年数とは違います。
メディアを変えるだけでコンテンツの真実味が変わるなら、本物の価値ってなに??
 
これって紙の本と電子書籍の対比ならわかりやすいです。
内容は同じでも、紙の本のほうを信頼する人は少なくありません。
気にせず両方読んでいるわたしでも、同じように感じてしまいます。
特に小説はなにがなんでも紙の本で読みたい!
 
情報自体が変わらないのはわかってるんですよ。
紙の本だって、いったんデータ化した文章が印刷されてるだけ。
むしろ電子書籍のほうが生の原稿に近いかも。
これを偽物と断罪するのってどーなのよって。
 
現在の技術革新で起こっている情報伝達法の変化って、歴史的に見れば大したもんじゃないと思うんです。
文字が生まれた時のことを考えてください。
それまで情報の伝達や保存を担っていたのは、記憶力の高い語り部だったでしょう。
彼らが文字という長期間情報を保存できるシステムを見た時、どんな反応をしたか。
「肉声でない言葉は本物じゃない」って言ったんじゃないでしょうか。
 
今でも文字が音声言語のすべてを表現できているわけではありません。
それでも、人類の文化を現在まで伝えてきたのは文字の力だということに異論のある人はいないと思います。
デジタルの隆盛もそれと似てますが、ずっと緩やかです。
文字と肉声がどちらも重要な情報伝達の手段として両立しているように、デジタルデータも伝達方法の一つとして確立してきただけじゃないんかな??
どんなコンテンツとメディアの取り合わせであれ、受け手に伝ることが一番です。
 
本物であることを知らしめるために、偽物を見繕わないといけないなんて、そんな虚しい話ってないですよ。
そのレベルで語られる本物偽物なんて、たんに趣味の問題やんー。

せっかくのよい映画にケチがついた感じ。
褒めるのも中々難しいなあ(;´Д`)